Speaks vol.13 <<ヒンギス、そしてトリノオリンピック>>
全豪オープンでは、ヒンギスが見事、ツアーへの本格復帰を果たしましたね。
結果は、ベスト8。更なる進化を予感させる素晴らしい内容であったと思います。
また、全豪オープンに続く東レ・パンパシフィックオープンでも大活躍。
準決勝では、シャラポワに完勝しました。
しかし、決勝ではディメンティエワに惜しくも敗れ、結果は準優勝。
準決勝でシャラポワに勝った時点では、このまま優勝か!?とも思われましたが、
(本人もいけると思ったのではないでしょうか?)
決勝は、シャラポワ戦とは異なり、何か歯車がかみ合わないうちに負けてしまった
という感じでした。
準決勝のシャラポワ戦と決勝のディメンティエワ戦では何が違ったのでしょうか?
テニスの技術的にもいろいろと要因があると思いますが、
メンタルに基づく基本的な戦略面で、ヒンギスに死角があったのではないかと感じます。
ヒンギスは、シャラポワ戦では事前から周到な対シャラポワ戦略をイメージしていたようです。
(試合前の会見でも、そのことをほのめかすようなコメントをしていました。)
それに比べ、ディメンティエワ戦に対しては、それほど明確な戦略イメージ
を持っていなかったのではないでしょうか?
ある意味、自分のプレーをガンガン出していけば、圧倒できるという自信が
あったように思えます。
「自分ができるプレーの選択肢のなかで、どのような組み合せが相手にとって
もっとも影響を与えることができるのか?」
この発想をもって、事前に十分な準備が出来ていたシャラポワ戦は完勝。
それに対し、相手に関係なく自分のしたいプレーを押し通そうとしてミスが先行し、
これではいけないと、入れにいったところを逆にやられてしまう、という悪循環に
陥ってしまったのが、ディメンティエワ戦であったように思います。
1.決して無理をせず、自分のできるプレーの選択肢の範囲内で、
2. 相手に影響を与える戦略を組み立てる、
3. そして相手の「心を折る」
この思考が、トッププロでも私達レベルでも非常に重要なことなんだと再認識しました。
(ちなみに、3月4日発売予定の「テニスジャーナル」(4月号)にこのお話を
書いていますので、是非お読みください!)
「自分のできるプレーの選択肢の範囲内で」という点、現在開催中の
トリノオリンピックを観ていても、その大切さを感じます。
どの競技を観ていても、さすがオリンピック、非常にレベルの高い戦いが
繰り広げられています。
しかし、メダルを獲得するようなトップアスリートは、他の選手とは何かが違うと感じます。
それは、100%、120%のパフォーマンスを発揮して勝っているという
感じではなく、本人からすれば70~80%のパフォーマンス発揮で勝っている
感じがするということです。
必死になってはおらず、かならずある程度の余力をもって戦っているように
見えるのです。
普段のトレーニングで出来ていないことが、本番で出来るわけはありません。
普段以上の力を本番で発揮しようとするのは、チャレンジではなく、無謀です。
自分の限界に対する余白をもったパフォーマンスでも十分勝てるレベルにまで、
日頃のトレーニングを積んでいるのでしょう。
ここで気を付けなければならないのは、いつも「自分のできる範囲内で」
と考えていると、小さくまとまってしまいかねないことです。
セルフイメージを大きく持ち、自分の器を大きく想定することで、おのずと
自分の限界までの余白も大きくなります。
トップアスリートは、とてつもないセルフイメージの持ち主なのでしょう。
ぎりぎり達成可能な目標(理想のセルフイメージ)を持ち、それに向け
自分のミドルレベルのパフォーマンスを上げることの大切さをあらためて感じました。