Speaks vol.198
  <<パラアスリートたちのすごみ>>

東京2020パラリンピック、
ご覧になったでしょうか?

もちろん基準をどこへ置くかによりますが、
見方によってはやっぱり、
健常者がプレーするオリンピックのほうが、
スピード感や躍動感にまさり、
見応えがあるという向きも、あったかもしれません。

一方では、手足がない、目が見えない、
耳が聞こえないなどの身体的事情を踏まえると、
オリンピアンに勝るとも劣らないパラアスリートたちのすごみを、
個人的には感じました。

というのも僕自身、交通事故に遭い、
片足しか使えない車イス生活を過去に経験。
この話はスピークスでも、何度かお伝えしていますね。

年末のランニング中に無灯火のバイクが後ろから突っ込んできて、
左足を負傷し、車イス生活を余儀なくされました。

だけど3月には確定申告があって、
入院中にもかかわらず本人が、
どうしても税務署へ行かなければならない事情があったのです。

車イスに乗り、伸ばした左足を上げたまま、
どうにかこうにか到着。

税務署内に入ったら入ったですごい人混みで、
骨が切断し、すねの皮や皮膚によりかろうじてつながっていた左足は、
だれかに、何かにぶつけたら、「即アウト」という事態でした。

「これは危険だ!」と思う瞬間に、何度も遭遇しました。
このとき、車イスの人と健常者が見ている世界が、
全然違うことに気づいたのです。

僕が「危険!」と感じているものを、
ほかの人は目線の高さの違いもあって、
まったく気にもしていません。

同じ世界、空間にいるというのに、
「見えている・見えていない」ほどの、
真逆の違いがあったのです。

たとえばテニスのレッスンに通ってくる皆さんも、
クラブハウスへ入るところにある入り口の段差が、
「見えていない」のではないでしょうか?

だけどわずか10センチ程度の段差があるだけで、
車イスだとむちゃくちゃ気になり、
簡単には上り下り、出入りが、できなくなります。

車イスだと、トイレに手すりがなければすごく大変だけど、
健常者の目にはその手すりが、
たとえ視界には入っていたとしても、
認識されずに「見えていない」ほどの世界の違いがある。

図らずも車イス生活を経験した結果、
今まで感じなかったものが感じられるようになり、
目、耳、触覚を含む身体感覚が、
不自由を通じて、否応なしに研ぎ澄まされたのでした。

パラアスリートには、
健常者に見えていない世界が見えているのでしょう。

健常者が「大変そうだな」などと想像する以上に、
身体感覚がハイレベル。
これがパフォーマンスとして発揮されたのが、
パラリンピックだったと思うのです。

小中学生を対象としたパラリンピックを応援する、
「学校連携観戦プログラム」が実施されたそうです。

子どもたちは競技を目の当たりにして、
果たして何を、感じたでしょうか?
「不自由そうだ」「大変そうだ」だけでは、
あまりにもったいない。

人間の持つ可能性が、
遺憾なく発揮された舞台でした。

目が見えないブラインド系の競技であれば、
驚くべき聴覚的能力で空間認知を補い、
ボールの位置をピンポイントで探り当てるといいます。

そんな背景を知るためにも、
個人的にはパラアスリートたちのドキュメンタリー番組を、
機会があれば見てみたいと思っています。

ハンデを負った人間だからこそ開発された「超」能力が、
結実するに至る努力や頑張りを想像すると、
スピード感や躍動感は確かに及ばないとしても、
オリンピックとはまた違ったパラリンピックの魅力を、
発見できるのではないでしょうか。

解説/スポーツラーニング・黒岩高徳
構成/テニスライター・吉田正広

さあ、このSpeaksを読んだらさっそく練習しましょう!!レッスンへGO!!
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