Speaks vol.174
<<球数制限問題について考える>>
野球界では、「球数制限問題」が話題になっています。
最もデッドヒートしているのが、
野球解説者の張本勲と、大リーガーであるダルビッシュ有による議論でしょう。
ダルビッシュは、投球数に制限をかけて、
大一番でもそれを超えるようなら無理せず、無理させず、
ケガを防ぐ観点から投げさせない意向を伝えます。
一方の張本は、それは甘いと否定する。
「ケガを怖がったんじゃ、スポーツやめたほうがいい」というのが、
ご意見番としての主張のようです。
今年の夏の高校野球岩手県大会決勝、
「令和の怪物」こと大船渡高校の佐々木朗希を登板回避させた采配についても、
「あの苦しいところで投げさせたら、本人のプラスになった」と反論しました。
ダルビッシュは、制限を超えるとデータとして、
負荷がかかりずきて故障の確率が上がるから、
将来のことを考えて無理してはいけない、と。
一方の張本は、
多少は無理をしてでも根性で立ち向かえ、と。
「壊れても当然、ケガをするのはスポーツ選手の宿命(中略)。
将来、将来って、将来は誰が保障する?」と噛みつきます。
根性で投げ続ければ壊れかねないから、制限すべきという立場と、
制限は頑張らなくなる、サボる方向にも振れかねないという立場とが、
真っ向から対立する構造です。
一字一句正確ではないけれど、
上記のようなやり取りが、展開されているようです。
両者の言い分はよく分かります。
さて、この話題、
一体どこで折り合いをつければよいでしょうか?
自論は、「無理せず無理する」です。
自分がどこまでやれるのか、
どこまでやったら壊れるのかをある程度感じながら、
「100球を超えたら、ハイ終わり」ではなくて、
それ以上に頑張る必要もある。
だけど30球に満たない時でも、
壊れそうなら、そこで制限をかける必要もある。
つまり、根性や頑張りは必要。
だけど根性や頑張りを、
正しく使えるかどうかが大切です。
後先考えずに頑張るのではなく、
データに基づいて高いパフォーマンスを発揮できるように頑張るのです。
自分は本当は投げたいのに、
高いパフォーマンスを維持するためには、
投げるのを我慢する場合もあるでしょう。
自分は本当は投げたくないのに、
パフォーマンスの限界を突破するためには、
投げ続けなければならない場合もあるでしょう。
やってはいけない時に、自分にストップをかけてやらないのと、
やるべき時に、できることをやらないのとでは、
同じ「やらない」でも、まったく意味が違います。
高校野球の場合は、本人ではなく監督が采配を振るう事情もあり、
確かに難しい問題だったに違いありません。
ここで加熱する球数制限問題を解決するつもりはありませんが、
いずれにしても大切なのは、バランスではないでしょうか。
「無理せず無理する」さじ加減です。
あるタイミングで、さらに投げ続けるか、
投げずにそこでやめるかが、運命の分かれ道。
その時、自分がどんな決断をするかが、
自分を知ることのできる大きなチャンスです。
多くの人は、自分を知りません。
何をしてきたかの「結果」では、自分は分からないのです。
その過程で、自分がどういう「決断」をしてきたかが、本性です。
100球投げた「結果」が、自分ではなく、
99球でやめた「結果」が、自分ではなく、
その時々で、どういう「決断」をしてきたかの過程が、
今の自分を形成しています。
「無理せず無理する」さじ加減を、いかにバランスさせるか?
次回に続きます。
解説/スポーツラーニング・黒岩高徳
構成/テニスライター・吉田正広
さあ、このSpeaksを読んだらさっそく練習しましょう!!レッスンへGO!!
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