Speaks vol.182
<<新型コロナと20年前の事故>>
新型コロナウイルス感染拡大を防止する目的として発出されていた、
緊急事態宣言が、解除されました。
いよいよテニスをプレーできる日常が、戻ってきそうです。
これは、素直に喜ばしい。
しかし、まだ予断を許しません。
第2波、第3波を懸念する専門家の意見もあるようです。
今、私たちができることは何なのか?
今回は、自分が遭遇した20年前の実体験と、
オーバーラップするところがあるので、
振り返ってご紹介したいと思います。
大晦日の夜でした。
迎える正月に大きな試合を控え、
また、年の暮れはテニスコートを使えない事情もあり、
ランニングに励みました。
普段は周回コースを5週走っていましたが、
その日は年の締めくくりとして、10週走ることに。
8週目、後ろから無灯火の原付バイクが、
後ろから突っ込んできました。
最初は、何が起こったのか分かりません。
暴漢に襲われたかと思いました。
その場でうずくまっていると、
直後に原付バイクが倒れてきて、人も転がってきました。
左足が痛くて動かせない。
救急車で運ばれた病院で診断を受けた結果、
左足の「開放骨折」と告げられました。
骨が皮膚から飛び出していて、
アキレス腱とすねの皮だけで、
左足はどうにかつながっていました。
骨は、外気に触れるとウイルスが付着してしまいます。
プレートをはめて固定もできませんでした。
特に、足首の下の方は心臓から遠いため、血流も少なく、
治りにくいから骨が付く前に壊死する危険があった。
骨折だから、「全治何カ月ですか?」と尋ねると、
ドクターからは「(何カ月ではなく)何年だよ」と、規格外の返事。
治る可能性は20パーセント以下。
レントゲンを見て他人の写真だと思ったら、
それが自分の足でした。
当初は、正月が明ければ退院できるだろうと思っていたけれど、
日に日に、甘くはない現実を受け入れざるを得なくなってきました。
手術すれば治るだろうと考えて、お願いしました。
皮膚が閉じないと骨はくっ付かないから、
1回目は皮膚移植をして臨みましたが、上手くいかずに壊死。
手術は全身麻酔を要するから、
その後、1週間は寝たきりになります。
失せる体力、気力。
リハビリ室に鉄アレイがあったから、
上半身だけならできると思って筋トレに励むと、
2~3週間で、気力がみなぎってきました。
そしてまた1カ月後に手術しますが、上手くいかず、
再び1週間の寝たきりと、その後の筋トレを繰り返します。
寄せては返す、期待と失望。
この経過が、今回の新型コロナと似ているのですね。
最初は、風邪に毛が生えた程度と軽んじられていた新型コロナウイルスが、
世界中を恐怖に陥れ、今でも海外では多数の死者を生んでいます。
不安が日に日に増し、
時間だけが過ぎてゆきました。
合計4回の手術を行い、これでダメならタイムリミット。
骨と骨との継ぎ目は反応せず、2つに分かれたままとなります。
祈るような気持ちでレントゲン写真を何度も確認したいけれど、
そのたびに、放射能を浴びます。
大晦日に遭った事故からゴールデンウィークを迎え、
5月に入ったくらいのころでした。
ドクターから「骨が出てきたよ」と言われました。
ただし、「油断すると、折れてしまう」とも。
実は、この時に骨が出ておらず、
10日後に変化がなかったら義足だったと、あとから聞きました。
20年経った今でも、鮮明に思い出します。
ひとつ言えるのは、
「自分は治る」と心の中で思っていたから、治った。
「もうだめだ」「終わりだ」とあきらめていたら、
骨は、反応しなかったと今も信じています。
コロナ禍で私たちにできることといえば、
「早く遊びに出歩きたい」などと他人事に考えるのではなく、
前回のスピークスで書いた通り、
「意識」を持つ必要があるのではないでしょうか?
繰り返しになりますが、まだ予断を許しません。
緊急事態宣言の解除は、
「骨が出てきたよ」と言われたステージに近いのかもしれない。
油断すれば、折れてしまいます。
3密を避け、ソーシャルディスタンスを保ち、
感染せず、感染させない配慮が求められます。
そして「絶対に収束させる」という、
1人ひとりの強い意志が、大切だと思うのです。
解説/スポーツラーニング・黒岩高徳
構成/テニスライター・吉田正広